しょくのこのゆるく空回りな暮らし

感受性高めな管理人がゆるい日常の様子をお届けするブログです、ときどき熱血のスイッチが入ります(笑)乗り物と旅行と料理が好きです。

辛いときに辛いことが重なる


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ども、この1年は悲しいことばかりで浮かない気分が続いているしょくのこ(@shokuneko)です。

 

 

今回はただただ悲しいことについて書くだけです。無理して読まないでください。

 

 

書いていいものかどうか悩んだのですが、やり場のない思いが溜まるばかりなので書くことにしました。

 

 

悲しいこととか嫌なことってなぜかタイミング悪く重なるんですよね

 

 

私の場合はお世話になった方2人や18年も可愛がっていた叔母の家の柴犬が亡くなった事です。

 

 

どれも2ヶ月経たないうちに起きたのでショックが大きかったです。

 

 

お世話になった方2人は赤ちゃんのころから付き合いのある人で、小さいころの食生活はこの方たちが支えてくれたといっても過言ではありません。

 

 

小さいころの体を作ってくれた方なので本当に感謝しかありません、でも悲しみのほうが大きくて思考がまともに働かないときもあります。

 

 

少し無理してブログを書いてる時期もありました、そのときは悲しみから逃げることができたので。

 

 

 

3ヶ月経っているのですが、ふとしたときにまた悲しみに押しつぶされそうになることがあります。

 

 

そうすると仕事も生活とままならなくなり、体が動かなくなってしまいます。

 

 

みなさんはそんなときどうしてますか?

 

 

私の場合はひたすら故人を偲んだり、思い出にすがったりしてしまいます、、、

 

 

叔母の柴犬も同様、小さな頃から叔母の家を訪れては散歩に連れていったので本当に悲し未ました

 

 

でも叔母の柴犬に最後に会いに行ったとき「小さな奇跡」が起きていました。

 

 

事の発端は叔父が急に怪我をして半年ぶりに叔母の家を訪れたことです

 

 

そのときすでに叔母の家の柴犬は危なく、なんとか生き長らえてる状態でした。

 

 

でも私たちが叔母の家に滞在している間はなんとか毎日を生き抜いていました、毎日「頑張れ」と声をかける私

 

 

そして2日目、家の都合で実家に帰らなければいけなくなり、柴犬に「また会いに来るからね」と別れ帰路につく

 

 

そして帰りの新幹線に乗って席に着いた瞬間に叔母から「愛犬が亡くなりました」と連絡がきた

 

 

そのとき「最後の最後に私と会ってくれたんだな」と思い、泣いてしまいました

 

 

帰りの新幹線では何を考えていたのかは覚えていません

 

 

でも叔父が怪我したことによって最後の最後に合わせてくれたってことは奇跡以外のなにものでもないと今でも感じています

 

 

もう一度言いますが、これらは2ヶ月以内に起きたことで、悲しみの重圧に耐えられない夜もありました

 

 

それでやっと立ち直れそうになってきたと思ったら、今度は愛犬の癌が発覚、、、

 

 

小さなしこりができたと分かったころにすぐに病院に連れて行けばよかったのですが、気に止めずそのままでいたら、2ヶ月もしたら全身に広がってしまった

 

 

本当に悔みました、「なんで気づいたのに病院連れていってやらなかったのか」と

 

 

最近は息が荒くなってきて、しんどそうな表情の愛犬、この子には自分とその家族しかいないのになぜ誰かが「すぐ病院に連れて行こう」と言えなかったのか

 

 

今は限りある時間を愛犬と一緒にいようと思っています

 

 

こんなことで仕事に手がつかなくなることっておかしいですか?

 

 

私から見たらこれだけのことがあっても「仕事は仕事」と割り切れる人やのほうが変だと感じてしまいます

 

 

今でも悲しさや寂しさで眠れないときもありますが、なんとか前向きに生きてます

 

 

まとまりのない文章ですみません、でも書き出しておきたかったんですよね

 

 

この気持ちを忘れちゃいけないような気がして、、、

 

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